よそいきのメモ帳

人に見せてもいいメモ帳をつづります。

「増山たづ子 すべて写真になる日まで」

IZU PHOTO MUSEUMで開催されている「増山たづ子 すべて写真になる日まで」を見に行く。

岐阜県徳山村で民宿を営んでいる増山たづ子は、自分の住んでいる土地にダムの建設計画が立てられたときから、60歳になるそのときまでまったく触ったことがないカメラを購入し、村のすみずみまで撮影しはじめたという。年金のほとんどをプリント代とフィルム代に費やし、残したのは10万枚のプリントと600冊ものアルバム。その写真のなかから選ばれた写真がここに飾られているのだ。

かといって、お涙頂戴でもノスタルジー満載っていう写真でもない。彼女の写真は「徳山ダムのなかに沈んだ村の記録」というラベルや、会場内のキャプションがなくっても、写真だけで強く胸を突いてくるものばかりだ。

彼女はびっくりするほど写真が上手。それまで本当に写真を撮ったことがないのだろうか? なにか絵を描いたりした経験があるのではなかろうか? と思うほど、きちんとした構図であり写真なのだ。そして、被写体の村民の人々の表情の柔和なこと! だれもが優しい笑顔をしていて、その後ろには村の美しい風景があり、それが本当に胸をえぐられる。

なのに、キャプションには「村を二分して云々」とあるのもさらに胸をえぐられる。写真は、徳山村のすべてを切りとったわけではなく、彼女のするどいフィルタにひっかかったものしか残されていないのだ。

彼女はすべてをあきらめながら、けれども執念深く、淡々と、そして強く怒りながら、写真で、テープで、村のコラージュ、もちろん、現実の徳山村ではなく、増山たづ子のなかの徳山村のコラージュを作り上げていったのだ。

その彼女の持つ、あたたかい徳山村のイメージが未来の人々の徳山村のイメージになるときが本当の「すべて写真になる日」なんだろうなと感じる。